五臓六腑は食べられません。

『先生、六腑の三焦ってどこにあるの?』

こんな患者様の一言から始まりました。

どうも、五臓はいいとして、六腑の三焦がよくわからないとの事でした。

因みに、五臓とは【肝】【心】【脾】【肺】【腎】の事をさし、六腑とは【胆】【小腸】【胃】【大腸】【膀胱】【三焦】の事を言いますが、本来は六臓六腑であり、臓腑にも、陰陽、表裏というようになっていますので同じ数だけの臓があるわけですが、六臓には【心包】が入ります。

さて、ここで問題なのは【三焦】なのですが、東洋医学を勉強するとある事に気が付きます。

これは、ほとんどの人が勘違いしていることだと思うので、よく読んでみて下さいね。

本来、東洋医学的には五臓六腑とは、実際の解剖をして出てくる臓腑の事をささず、働きに対して名前がついています。

どういう事かというと、

例として東洋医学の【心】とは
1.心は神を管理しています
東洋医学でいう『神』とは精神であり、精神活動全般で重要な働きをしていると言う事になります
2.心は血を体に巡らせています。

大きくは、このような感じになりますが、1は現代医学の脳の領域までカバーしていますし、2に関しても、厳密にいえば、循環器全部含まれてしまいますので、血管などの働きも【心】に含まれてしまいます。

現代医学に置き換えると『心臓の働きにしては、う~ん。納得いかない。』と仰られる方もいるかもしれませんが、そうではありません。

ここで勘違いしてはいけないのは、【心】とは初めから【心臓】の事を指していないのです。これを絶対に区別してください。

東洋医学でいう【心】とは、もう一度書きますが、解剖した物質についているわけではなく、働きに対して名前がついているのです。

つまり、ここに【水】があった時に
・高い所から低い所へ流れる。
・熱い物を冷やす。
などの働き(性質)があると思いますが、では、この働き(性質)を飲むことはできますか?と言う事になります。

【水】という物質は飲むことが出来ると思いますが、“働き(性質)”は飲むことはできませんよね?物質のことをさしていませんから。

本来、東洋医学の【心】という働きの考え方が紀元前からあり、西洋医学が日本に来て、実際人間を解剖した時に、心臓が【心】の働きに近かったため、現在我々が普通に心臓と言っている臓器に『心臓』という名前を付けられました。

東洋医学的には、精神的な活動により、脈拍数が変わったり、血圧が変わったりと、精神活動と循環器が密接な関係にある事から【心】の中に、現在でいう、精神と循環器をセットとして考えていたわけです。これは特におかしい事は無いと思います。働きですから。

本当であれば、現在の【心臓】という臓器に例えば、筋肉の塊ですから、【筋塊】と名前を付けてくれれば

『【心】とは現代でいう、【筋塊】+【脳】の働きに近い。』でよかったわけです。
これなら、なんら問題なかったのです。ですが、臓腑に東洋医学的に働きの近いものに、その同じ名前をつけていきました。これが勘違いの元となったのです。

先ほども書きましたが、【心】の働きを書くと、現在の【心臓】をイメージしてしまう我々にとってはおかしいのですが、本来働きに名前を付けており、実際の臓器には該当しないのが、そもそもの始まりなのです。

そうすると、やっと【三焦】のお話。

【三焦】とは
・気や血の通り道であり、臓腑をつないでいるものなので、広い意味では現在の血管や神経などが入るのでしょうか、基本は気の通り道なので、残念ながら、【コレ】という臓器や器官は無いと思います。

これも、何度も書きますが、働きに名前がついているのでしょうがありません。ましてや、現代医学では“気”と というものが、判別できない以上、これといった臓器をあてる事ができません。
【心包】も働きであり、そういう意味では【三焦】と同じで、今の臓腑にあてるのが難しいため、省かれていることが多いのではないでしょうか?

さて、長々と書いてきましたが、そんな理由から、本来の東洋医学の考えでは、五臓(六臓)六腑とは目に見える臓器を指していないわけですから“食べる事ができません”となるわけです。

少しややこしいお話でしたので、分かりにくいとは思いますが、五臓六腑については、またお話しする機会もあるでしょうから、今回はこのあたりで一区切りにしたいと思います。

おわり

あおくま堂 垂水
オリジナルHP http://aokumadou.com/